善光寺をあとにして、車で一般道を南下。およそ18kmの道のりを移動し、40分ほどで千曲市にある「森将軍塚古墳」にやってきました。
「森将軍塚古墳」がある一帯は「科野の里歴史公園」として整備されていて、他にも「森将軍塚古墳館・科野のムラ・長野県立歴史館」という3つの施設があります。
こちらが駐車場で、その奥に「森将軍塚古墳館」があります。
その反対側にある大きな建物が「長野県立歴史館」です。
こちらが公園の案内図。焼き物で作られている珍しい案内図です。今回は駐車場から「科野のムラ」を通って、「森将軍塚古墳」へと向かうことにしました。
駐車場の目の前にある広い芝生の「おまつり広場」。その先の小高い丘の上に見えるのが「科野のムラ」です。
そして、山頂から少しだけ顔をのぞかせているのが「森将軍塚古墳」です。
さっそく「科野のムラ」の敷地内へ行ってみましょう。
この「科野のムラ」は、この場所で発掘された古墳時代中頃の「ムラ」を復元したものだそうで、人びとが居住していた竪穴住居や、物置に使われたとみられる小屋、収穫物を貯蔵する高床倉庫、そして田んぼや畑も再現するなどして、当時の人びとの生活の様子が感じ取れるようになっています。
こちらが竪穴住居。
これは高床倉庫ですね。
これが物置小屋かな?
雨が降っていたこともあり、さっと見て回って、先へと進むことにしました。
「科野のムラ」を出て、「くるみの広場」の方から「古代の道」を進んで行きます。
ここからは普通に低山を上っていく感じで、ひたすら上り坂が続きます。
軽快に歩くチャッピーさん。まだまだ元気です。
「わかれっと広場」を過ぎたあたりで、近道のルートへ。
最初は軽快に進みましたが、
次第に急な階段が続くようになり、少し余計に体力を消耗してしまった感じでした。
ようやく近道から「古代の道」に戻って、しばらく進むと、
八合目の標識を発見。あと少しでゴールです。
「はぎの木広場」を過ぎて、
その先の分岐を左へ。
木々のあいだから古墳が見えてきました。
「科野のムラ」から20分ほどで「森将軍塚古墳」に到着。
森将軍塚古墳(国指定史跡)
森将軍塚古墳は全長約100mの前方後円墳で、長野県で最大規模の古墳とされており、古墳時代に「科野(しなの)のクニ」を治めていた王の墓と考えられています。この山頂にある森将軍塚古墳は調査を基に復元されたもので、綺麗に石が積まれていて、埴輪が整然と並べられています。また、夕日の景観が美しいことから長野県のサンセットポイントにも選ばれているそうです。
残念ながら、犬は古墳の上を歩くことができないので、僕とママさんが交代で古墳の上を歩くことにしました。
まずは僕が先に古墳に上がりました。こちらは方墳からの眺め。
円墳に移動。この真下に棺があったようです。
円墳からの眺め。古墳時代はどんな眺めだったのでしょうね。
円墳から方墳を見下ろした景色。
なかなか高さがありますね。
整然と並べられた埴輪。焦げている部分も、それらしく再現しているということでしょうか。
交代してママさんの番。円墳の上でポーズ。チャッピーとクロエはその様子を歯がゆい思いで見ていました。
古墳の上を歩けなかったチャッピーとクロエ。仕方なくここで記念写真を撮りました。
つづいて、隣にある丘を上がってみましょう。
すこし突き出たところに説明板があり、古墳全体が見渡せるようになっていました。
その手前、さらに高い場所からの眺め。こちらの方が古墳全体が綺麗に見えますね。
ここでチャッピーとクロエに協力してもらって、記念写真を撮りました。
近くには「史跡 森将軍塚古墳」と刻まれている碑が立てられていました。
帰りは近道を利用せずに「古代の道」だけで下りていき、20分ほどで「森将軍塚古墳館」に到着しました。
この時点で時刻は午後3時。そろそろ今回の宿泊先である菅平高原へと移動することにします。
森将軍塚古墳(科野の里歴史公園)
住所 長野県千曲市屋代29-1
電話番号 026-274-3400(森将軍塚古墳館)
※掲載時の情報のため、各自ホームページや電話にて最新情報を確認してください。
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